そうだよね、いきなりこんな知らない場所に飛ばされて。不安になって当たり前。
すごく明るくて平気そうにしてるから、見過ごしてしまいそうになる。「僕は王子としてこの世に生を受けた。それはきっと普通の者から見れば幸せなことなんだと思う。
実際、住む所や着る物、食べることにも困ったことはない。 贅沢な暮らしをさせてもらってきたと思う」ヘンリーは一度言葉を区切ると、少し寂しそうな表情をしてまた語りだす。
その表情に、私の胸が少し痛んだ。
「でもね……僕はそれを幸せだと感じたことはなかった。
父上と母上と兄弟達。家族とはなんだか距離があって、他人のようによそよそしい。 友達だってよく似た境遇の者の中から適当に選ばなければならない。 すり寄ってくる者も、金や権力目当ての輩ばかりだ。 僕は自由じゃない。 将来は決まっているし、好きなことができるわけでもない。夢を抱き、それに突き進むことも許されない。 もちろん、妻になる人を選ぶことはできず、政略結婚だ。 普通の庶民が羨ましかったよ。 あんな風に、自由に生きてみたいと何度思ったことか。 ……流華、僕は贅沢なのかな?」ヘンリーに悲しげな瞳を向けられ、私はゆっくりと首を横に振った。
彼の話を聞いていると、過去の私を思い出す。
ヘンリーのその想いは、私が抱えていた想いに似ていた。「私も、そうだよ。私の家も変わっててさ、普通じゃない。
人からはいつも遠巻きに見られ、避けられる。 何をするにしても腫物にさわるように扱われて、友達を作ろうにも誰も近づいてこない。私の周りにはいつも屈強な男たちばかりが取り囲んでた。 そんな子に近付きたくないよね? まあそのおかげでいつも守られてたけど。 父も母も幼い時に亡くなったから、両親との思い出はないし。だけど、おじいちゃんがすごく愛してくれたから、寂しくはなかったな。 私が寂しいだろうからって、いつも側にいてくれて、いろんなところに遊びに連れてってくれた。 おじいちゃんにはすごく感謝してる。 今ではいつも側にいてくれる龍もいるし、親友もできて、すごく幸せ。 それでも……やっぱり小さい頃は普通の家に生まれたかったって思ってた。普通の家族に憧れた。 だからヘンリーの気持ち、私にはわかるよ」私が微笑みかけると、ヘンリーは大きく目を見開き、そして嬉しそうに笑う。
「流華……君は本当に素敵な女の子だね。
やっぱり、僕は君に会うためにここへ来たんだと思う。 君を一目見たときから胸が高鳴り、君のことを知れば知るほど君に惹かれていく。 そして今、君を愛しいと思ってしまった」ヘンリーが熱を帯びた潤んだ瞳で私を見つめてくる。
造形の整った綺麗な手が私の頬にそっと触れた。
トクン。
また私の心臓が音を立てる。
彼に触れられたところが、熱い。
「……私も、不思議なの。
ヘンリーには会ったばかりなのに、あなたといることが自然に思えて。 あなたに触れられることが嫌じゃない。ううん、心が喜んでいるような気さえしてしまう。 なんだか他人と思えない、というか。 やだ、私……何言っているのかなっ」本当に私はいったいどうしてしまったのか。
こんな、いかにも女慣れしてそうなヘンリーの言うことに振り回され、それを受け入れるなんて。
今まで思いもしなかったが、もしかして私は簡単に騙される尻軽女だったのか?ヘンリーと出会ってからというもの、自分のことがわからなくなってきた。
どうした? 私!
「龍?」 私は心配になり、龍をじっと見つめる。 ふいに顔を上げた龍がいつもより格好良く見えてしまい、また私の心が跳ねる。 真剣な眼差しが私に突き刺さる。「だから……お嬢がヘンリーと一緒にいて幸せなら、私はお二人を応援します。 お二人がずっと一緒にいられるよう、私も一生懸命お仕えいたします」 その龍の表情、瞳、声……どれもがいつもと違っているように感じられた。 なんだか切ないような、切実な想いが、そこには込められているようで……。 本当に、今日の龍はどこかおかしい。 最近ずっと変だと思ってたけど、今日はさらに変。「どうしたのよ、今日の龍、変だよ?」 「お嬢も不安なのですよね? ヘンリーがこの世界から、居なくなってしまうこと」 私の表情を窺うような、その眼差し。 龍から発せられたその言葉に、私は目を大きく開いた。 なんで、そのこと……。 隠していた本音をズバリ当てられ、私は動揺を隠せなかった。 龍に、その気持ちを打ち明けたことはない。彼が知っているはずはないのだが。「な、んで……」 私の驚きように、ふっと龍が笑う。「お嬢のお気持ちは、手に取るようにわかります。ずっと……見ていますから」 龍は少し寂しげな表情をして、優しく微笑む。 どうして? どうしていつも、龍にはわかっちゃうのかな。 私の考えていることがいつも筒抜けじゃん。 そう……不安だよ。 ヘンリーのことを好きになればなるほど、その不安は大きくなって私に襲いかかってくる。 彼はこの世界の人ではないから。 いずれ別れがくると思うと、怖くてたまらない。 どうしていいかわからず、一人恐怖と闘っていた。「龍……私」 「心配しないでください。どうにかして、ヘンリーと一緒にいることができないか、私なりに方法を探します。 そして……もしも、もしもヘンリーが消えてしまっても」 そこで、龍の
「きれーっ」 私は観覧車からの景色に目を奪われた。 眼下に広がるのは、いつもの街並み。 しかし、上から見下ろす景色は、また別世界だ。 澄んだ青い空を背景に、照らす太陽の光がこの遊園地と街を綺麗に彩っている。 立ち並ぶ住宅やビルの窓に光が反射し、それがキラキラと煌めているのが見える。 人も遠く小さく見え……人々が行き交う姿、ベンチでのんびりとくつろいでいる人や、カフェテラスなどで語らう恋人たち。遊園地内を駆けまわっている子どもたちの姿がなんとも可愛らしかった。 すべてが、一枚の絵画のようだ。 私は感嘆の息を吐く。 それと同時に、龍がぽつりと声を漏らした。「そうですね……綺麗です」 その声に吸い寄せられられるように、私は龍へ視線を向けた。 目を細め、ほんのり微笑んでいる龍の横顔が目に映る。 トクン……私の胸が弾いた。「こ、こういうのもいいよね! ヘンリーが来てから、なにかと賑やかだったから。 これだけ静かなのも、久しぶりかも」 私はこの雰囲気がなんだかむずがゆく感じられ、振り切るようにわざと明るく言ってみせた。 すると、龍はくすっと笑い顔をこちらへ向ける。「ええ、お嬢とこうして同じ時を過ごせ……とても幸せです」 視線を逸らすことなく優しい微笑みを向けてくる龍に、私は戸惑う。 こんな状況で、そんなに嬉しそうな顔を向けられると……すごく恥ずかしいじゃないっ。 私は視線を泳がせる。 なんだか、いつもと違うこの雰囲気に、どうも馴染めないでいた。「な、何よ。変な龍……」 私はドギマギしている自分の心を誤魔化すように、視線をまた外へ向けた。「お嬢と出会い、早五年……。短いような、長かったような。 あなたと共に生きるようになってから、私の人生には彩が生まれました」 静かに語り始めた龍に、私は違和感を覚え視線を戻す。 何かを懐かしむような眼差しで龍は外の景色を眺めている。
「……やっと静かになりましたね」 安堵した龍がそっとつぶやいた。 絶叫系地獄から逃れられ、彼もほっとしたのだろう。「そうだね、もう絶叫系はこりごりかな……。 そういえば、最近ヘンリー達のおかげで龍と二人で出かけるなんてことなかったしね」 久しぶりの龍との二人きりのお出かけ、というこの空間を感慨深げに思いながら私は笑いかける。すると、龍と視線がぶつかった。 案の定、すぐさま龍の目が私から逸らされる。 最近、こういうことが多いな……なんだか、ムカつく。「龍、最近なんだか怒ってる?」 私は疑いの眼差しを龍に向けた。 すると急に取り乱した龍が、頭を左右に振りながら否定してくる。「い、いえ。とんでもないです! 私がお嬢のことを怒るなど、あり得ません」 「ふーん、まあ、いいけど」 私が黙ってしまうと、途端に静まり返る。 なんだか気まずい空気が漂い始めた。 次に沈黙を破ったのは龍だった。「あの、お嬢。もしよろしければ……観覧車に乗りませんか?」 突然の申し出に、私はキョトンとした顔で龍を見つめる。「あ、いえ、嫌なら別に。申し訳ありません、調子に乗りました」 龍は何を勘違いしたのか、突然慌てて私から顔を背ける。 不快に感じたように見えただろうか?「いいよ、観覧車好きだし。龍も好きなの?」 その言葉に、龍は私に向き直ると華やいだ笑顔を見せる。「いいんですか!? はい、私も観覧車が好きで……お嬢と乗ってみたいなと思って」 喜んだかと思えば、語尾がだんだんと尻すぼみになっていく。「へー、意外な事実発見。長く一緒にいても、まだまだ知らないことがあるね」 「そ、そうですね」 龍の新たな事実を発見した私は、なんだか嬉しくてウキウキしていた。 心躍るというのだろうか、龍の新たな一面を知れるのは、なんだか妙に嬉しかった。 早速観覧車の方へ歩き出そうとした私に、龍が声をかける。
絶叫系の乗り物に振り回された私は、もうヘトヘトだった。 遊園地の絶叫系を全て制覇し、それでも足りないらしいヘンリーは何度もジェットコースターに私を引っ張っていく。 楽しそうに微笑むヘンリーを見つめ、私はげんなりと肩を落とした。「楽しいねー、流華」 「そ、そうだね」 ヘンリーの体力は一体どうなっているんだ? さっきからジェットコースター何回乗った? もう、無理……。「次、あれ乗ろうよ!」 ヘンリーが次に指差したのは、この遊園地で一番怖いと名高いジェットコースター。 さっきも一度乗ったやつだ。 怖すぎて気絶するかと思った、もう二度と御免だ。 私は視線をヘンリーから逸らし、何気なく龍へと移した。 龍も貴子に引っ張られながら、私たちと行動を共にしていた。 私と同じく青い顔をした龍が目に入る。 どうやら彼も、もう限界を迎えているようだった。「いいわねー! あれ、楽しかったし」 貴子は私たちの様子に気づいていない。 どこ吹く風、ノリノリの様子だ。 ヘンリーと貴子。 この二人の体力と精神は、子ども並なのかもしれない。 そんなのに突き合わされる私と龍は、たまったもんじゃない。「私はもう無理。ヘンリー、一人で行ってきなよ」 「えーっ」 ヘンリーは駄々をこねる子どものように、残念そうに唇を尖らせた。「ヘンリー、お嬢に無理をさせることは私が許さん」 龍が私の前に立ちはだかると、ヘンリーを叱りつける。「むーっ」 ヘンリーは頬を膨らませ、龍を睨みつけている。 私はふといい案を思いつき、手をポンと叩いた。「そうだ、貴子。ヘンリーと一緒にもう一回乗ってきてあげてよ。ね、お願い」 私が貴子に向かってお願いのポーズを取ると、貴子は不満げに眉を寄せた。「え? ヘンリーと私で? 流華と龍さんは来ないの?」 「ヘンリー楽しそうだし、貴子も好きでしょ
彼女のマイペース振りは知っていたけど……ここまでとは。 それに、と私は改めて貴子を見つめる。 先ほど見せたおぞましい何か。 貴子には、まだまだ私が知らない何かがたくさん眠っている、ということだろうか……。 楽しげな貴子を睨みつけるシャーロット。 彼女は悔しそうに顔を歪めながら、小さくつぶやいた。「あの女……覚えてらっしゃい」 その囁きが聞こえたのか、貴子が鷹のような目でシャーロットを睨みつける。 すると、突然シャーロットはふらっとよろけ、隣にいたアルバートにもたれかかった。「シャーロット様! 大丈夫ですか? 一度お家へ戻りましょう」 「嫌よ! ヘンリー様と一緒じゃなきゃ嫌!」 「我がまま言わないでくださいっ」 アルバートはシャーロットを抱きかかえると、私たちの方へ向き直り軽くお辞儀する。「私はシャーロット様を家まで送ってきます。それでは」 アルバートの腕の中で、泣き喚きながら暴れるシャーロット。 そんな彼女を無視し、アルバートはそのまま踵を返し歩き出す。「さよなら~。お大事にね」 貴子は満面の笑みを向け、呑気に手を振っている。 その声が届いたのか、シャーロットが大きな声で泣き出した。「ちょっと、何もそこまで」 「いいのよ、あのお姫様には少しお灸をすえなくちゃ。 それに……いつまでも期待を持たせるのは、悪いでしょ?」 そう言うと、貴子は私を真剣な眼差しで見つめてくる。 その瞳の意味するところは、私にもわかっていた。「な……私だって、心苦しいの。 シャーロットの気持ちを考えたら、どんなに苦しいだろうって」 私がシャーロットのことを心配そうに見送っていると、貴子がぼそっとつぶやいた。「はあーっ、あんたって、いろんな意味で鈍感よね。まあ、いいけど。 ……そんな気持ちを何年も抱えながら側にいる人が、一番近くにいるのに」 「え? どういう意味?」 「ううん。あんたは気
にこやかに微笑んだ貴子が皆を見渡しながら大声で叫ぶ。「えー、今日は流華とヘンリーの記念すべき初デート! 皆さんの想いはそれぞれあるでしょうが、ここは二人をそっとしておいてあげてください」 予想しなかった貴子の配慮がかった発言……私は酷く感動した。 いったい何を言いだすかと思えば、めずらしくいいこと言うじゃない。 今日は貴子が頼りがいのある姉貴のように見えるよ。 私が輝く瞳を貴子に向けていると、シャーロットの叫びが届いた。「何よ! 部外者は黙ってなさい!」 よく知らない者からの指図に、憤怒した様子のシャーロット。 そりゃそうか……彼女からしてみたら、貴子は部外者だ。 シャーロットは貴子をきつく睨みつけている。 しかし、そんな視線に負けるような貴子ではなかった。「ふっ、姫……これ以上二人のことを邪魔すると、ヘンリーに心の底から嫌われるよ。 それでもいいの?」 くっくっくと不敵に笑いながら、世にも恐ろしい表情を醸し出す貴子。 シャーロットにじりじりと迫っていく。「な……何、よ。そんな脅し」 シャーロットが強気に貴子を睨み返そうとした。が、貴子のその圧倒的な不気味なオーラを前に、彼女の動きが止まった。 少し血の気が引いたように青くなったシャーロットが、唐突に口を押える。「ちょっと、気持ちが、悪い……」 「大丈夫ですか?」 ふらつくシャーロットをアルバートが後ろからそっと支える。 貴子へ視線を向けると、彼女は気味の悪い笑みを浮かべながらシャーロットを見続けている。 目から何やら不穏なビームが走っているように感じ、私は目を凝らす。実際はビームなんて見えないのだが、そう感じてしまったのだ。 シャーロットも、どこか怯えきった表情で貴子を見つめ返していた。 彼女の体は震えている。 貴子……あんた、いったいどんな力を秘めているのよ。恐いわ! と、心の中でツッコミを入れる私。